落選した人の気持ち

SNSで「参院選落選議員の精神的ケアが必要」と唱える国会議員がいらっしゃいました。
私は自分がやりたいことや自分の政治思想を広げるのに政党にお金まで出してもらえてありがたいことに宣伝までしてもらえる出馬の喜びのほうが勝つので、落選の悲しさやショックを私はまだ経験していません。

議員になれないと、できなくなる活動は何で、議員じゃなくても、できる活動は何か。議員じゃないからこそのびのびとできるようになる活動もありましょう。
世の中には政治ゴロ、ごろつきと言われる人もときどきいて、政治家や権力者やキーパーソンを操るのが得意な人もいらっしゃいますので、政治家にならなくても政治家をコントロールしたりするごろつきになれば、自分がやりたいことはそこそこできるのではないでしょうか。
あくまで私の場合ですが、私は議員の代わりに議会での質問を作って差し上げることもできますし、私が選挙に出れないなら、私より当選しやすい人に出馬してもらって選挙を支援して当選してもらって、自分の代わりに政策実現をしてもらえばいいと思ってます(それに備えるためにも、やはり自分が常日頃から選挙を目指して準備することが大事と思っています)。
そう考えたら、選挙に落選してもそこまで絶望的になる必要はないのではないかと私などは思うのですが、私は議員になったことがないので、これについてはそんなに詳しくないのであまり言えることではありません。
また、他人の精神的なことやしんどいことは勝手なことを言えないので決めつけることもできません。

政治家としてできることをやるのももちろん大事ですが、権力を持って物事を変えるという発想と、反差別は私の中であまり繋がりません。差別に反対するというのは、多くの局面において大衆迎合と真逆ですし、大衆に受けないことを言ったりするのが反差別、反資本主義、反能力主義なので、左翼は当選したり政権取ったりするほうがレアなのではないかと思っています(だからこそ左翼の人はがんばって諦めずに政治の世界にしがみついて挑戦し続けてほしいです)。

何かの当事者性を持つ人が一人政治家になることと、政治から遠いところにいる(または置かれている)人たちが彼ら彼女らだけの力で新しいものをつくるのと、どっちが社会や人々にとって重要かと言えば、後者だと思いますし、それは例えば私が政治家になることとほとんど関係ないところにあるように思います。

私は小学生から高校までほとんど毎回のように生徒会に立候補したり落選したりする人間で、部活は社研部、部落研、バスケ部(県でベスト8までいったキャプテンでした)、ときどき学校を休んで神戸で気になる裁判傍聴したり、大阪、京都の同世代の子たちと京都で毎月集会したり、勉強せず毎月同人誌を発行したり、夏休みに長野で校則問題の合宿をしたり、お互いの学校の校門の前で早朝から集まってビラまきしたりするような10代を過ごしてきたので、そこから現在までやっていることがほとんど変わらないのです。だから選挙に出ることも落選することも精神的に特別ではないのかもしれません。

政治家であることと、政治家でないことの垣根を感じさせる政治家は、あまりよくない政治家ではないかなと思うことが多いのですが、どう思いますか。


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