紀ノ川市長にごあいさつ
今日は紀の川市の岸本健市長へのご挨拶に同席させて頂きました。
岸本市長は、とても気さくにお話して下さり、県連代表に就任したばかりの山路代表には、代表としての苦労や重圧を慮る温かいお言葉をかけて下さいました。これから様々な方々といろんなことをがんばっていく上で大切なことなど、心に響く重みのあるお言葉の数々は、今後の山路代表が困難にぶつかったとき、お守りとなるはずです。私も、岸本市長の豊富なご経験とご見識などご高説を賜り、とても勉強になり、感謝の念に堪えません。

上の紀の川市の空撮写真は、私がサブスクで入ってるadobe stock(フリー素材)からダウンロードしたものですが、この写真と同じ景色が見れる空撮動画がYouTubeにありましたので、ぜひご覧下さい。他にも、「紀の川市 空撮」で検索すると、美しい映像がたくさん出てきます。
さて、岸本健市長は、紀の川市のサイトに掲載されているの経歴を拝見しますと、2002年〜国会議員秘書、2003年〜衆議院議員、2007年〜県会議員4期、2022年〜紀の川市長をされているそうです。
ということは、岸本市長が永田町にいた頃、私もときどき永田町・議員会館周辺にいたので、もしかしてその頃すれ違ってたのかしらと思い、親近感を感じました。今日は紀ノ川市からの帰路に就きながら、その頃のことを思い出し、振り返っていました。
2002年~2003年頃とは、どんな社会、時代だったか。私ならでわの切り口で申しますと、その頃はまだ、NHKの放送では、「セックス」という言葉を番組で使ってはならず、「性」という言葉に置き換えられていた時代でありました(いきなりどこから振り返っとんねん)。
世界ではアフガン戦争、イラク戦争がありました。その頃、よく反戦デモに参加したり、国会前の集会に参加したりしていました。外務省ではアフガン復興支援会議をしてました。
イラク戦争と言えば、2004年のイラクでの日本人人質事件が衝撃でした。院内集会に何度か参加し、市民たちで何ができるか話し合ったり署名や請願をしていた記憶があります。
また、世界でSARSが流行し、2003年に開催される予定だった神戸での国際エイズ会議は。開催が2年延期されました。
私が議員会館に出入りしていた用事としては、2002年の山形4区(当時)衆議院補欠選挙で当選し約1年間国会議員をしていた斉藤淳さんの国会事務所で一時的にボランティアをしたことがありました。その中で、斉藤さんが忙しいときに代理でヒヤリングに参加してレポートをまとめ、提出するというものがありました。そこで、横江公美さん講師によるアメリカ大統領選挙(ブッシュ政権)について学ぶ機会を得たのが印象に残っています。
2003年の選挙ボランティアでは、都知事選で樋口恵子さん、神奈川県知事選で田嶋陽子さん、衆院選で川田悦子さんの応援に行きました(いずれも落選)。
夜の街は、フィリピンパブが壊滅させられる前夜で、性風俗業界においてはデリヘル主流化の始まりにあたる時期で、9.11(2001年)後の世界は、越境的組織犯罪防止条約が効力を持ち始め、世の中はテロ対策、石原都政下の浄化運動全盛期、それが各地に広がった時期でもあります。横浜にも初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会が2003年に発足しています(詳しくはこちらのPDFのp.6「黄金町の歴史と現在」をお読み下さい)。とにかく、こちら側の性の政治課題などぶっ飛んでしまう状況でした。
経済状況は、この時代の小泉政権時代(2001年~2006年)の新自由主義政策によって、庶民は低賃金から抜け出せなくなっていきました。そして2008年派遣村やリーマンショックと続きます。
私が見えていたのはそんな、世界と、永田町の風景でした。
まだ活動を始めて4年ほど、何の経験も実績も知識もなく、何もできないもどかしさでよく泣いてよく絶望ばかりしていた20代半ばでした。
岸本市長とお話させて頂くことがなければ、過去を振り返って見つめ直したくなることもなかっただろうと思うと、岸本さんの発する言葉に、やはり何か不思議な力があったのかなと感じました。

コメント